江場康雄

愛知・名古屋/発起人・みゃくそん会長

1964 ~私の原点~

私の車のナンバープレートは「1964」。
今こうして生きてきた原点は、「1964年にある」と言っていい。
頑固な商売人の親父、優しく美人のお袋。
超恵まれた環境、ぬくぬく育つ。

戦争で田舎のお寺に疎開、我が儘放題、ガキ大将、喧嘩も怪我もしばしば。
嫌いだった親父が野球のグラブを土産に。嬉しかった!本当に嬉しかった。
超巨人ファン。川上になるぞ、青田もいいな、渋い千葉、白石もいい、・・・。
寺の境内は野球小僧にとってはパラダイス。たまに親父がキャッチボールの相手をしてくれた。
小学2年で疎開先から街の子に。家は小学校グランドの前。壁と空が一人練習相手。

そんな野球小僧は高校から大学進学で親父と大もめ。どうしても甲子園へ行けるような高校へ!
親父は大学それも理系へ行け、薬学部を進める。親父と大げんかになる。
親父は仲間と酒を飲みに。お袋が泣き始めた。
「わかったよ!お袋!」。

結局、その間をとって進学と野球の両方に可能性がある高校へ。
ところがこの時すでに私の肩は壊れかけていた。右肩に異変。投げると激痛が。
野球部へ入ったものの、監督に一発で見破られる。大挫折だった。悔しかった。
野球ができない、俺から野球をとったら、・・・。グレた。
酒、タバコ、夜の街、・・・、と、収まりのコースをたどった。

軌道修正してくれたのは、二人の親友だった。
「お前、このままでいいと思ってるのか!」
禁酒、禁煙、禁欲。空洞化した脳への刺激は功を奏した。
薬学大学、一次希望は落ちたが、二次希望に辛うじて引っかかった。

理系大、それも薬学部は卒業し、国家試験が、・・・。
勉強しなければ、実習で実力つけなければ。ちょっと嫌気が差してきた。
そんな時食堂で昼食中に2階から音楽が。軽音楽部の部室を覗いた。
先輩バンマスの一声「こちらへ来い、サックス貸してやる、やってみろ!」で、
ガラッと大学生活が楽しくなる。

楽あれば苦あり。大酒飲みの親父が脳溢血で倒れ、家業は倒産。
家から衣食以外の金目のモノがなくなり、土地家屋も売却。第二の挫折。
アルバイトにアルバイト、卒業試験、国家試験もなんとかギリギリで。
こんな時も寄り添ってくれたのが親友だった。

1964年9月15日、

叔父貴に20万円の資本金を借り、医療用酸素販売の有限会社江場商店を創立。

軽トラに酸素ボンベを積み全て売り切るまで帰らない、を毎日をつづけた。

運転はしないが、現在私の車のナンバープレートは「1964」。
忘れることができない、私の原点の番号である。

画:平野峰生画伯

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